小学校・中学校・高校での登校拒否の時にママがしたこと

子育てのツボ
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6年間の不妊の末に授かった長男は宝物でした。

小学校に進学するまでは、仕事で忙しいながらも「自分の命よりも大切な我が子」!!

と, いつも言っていたくらいに可能な限り子供に向き合っていました。

しかし前回の記事でも書いたように、

ママ自身、仕事ばかりで家に居ない自身の母親に育てられており、

家庭生活というものが本当にわかっていなかったのです。

小学校に進学して保育園の送迎もなくなり、勝手にほっとしてしまいました。

働きながらのワンオペ育児と旦那のDV,生活苦の疲れがどっと出たのかもしれません。

自分の幼児期は3歳から一日中ひとりで留守番で、

衣食住を確保できればいいという母に育てられていました。

そんな家庭があたりまえに思っていた私は、

長男が小学校に上がったときから仕事中心の生活になっていきました。

長男が何か話したいことがあっても、食事やお風呂に追い立てて、こなしていく生活です。

長男が小学校1年生の秋に、アルコール中毒で無職・DVの夫と離婚してからは、

不安な思いをさせたであろう子供に寄り添うどころか、

自分自身もますます一人で頑張って育てなければ!と思いやる余裕もなかったです。

今なら、進学したばかりで環境が変わった子供の気持ちを考えなければいけないと

痛いほど理解できるのですが、当時は全く分かっていませんでした。

こんなママの為に学生時代を苦しんだであろう長男には本当に苦労をかけたと思っています。

その時にママとして悩みながら分からないまま、

ただ愛情だけはいつでも確信して、

なんとかもがいて過ごした10年余りを振り返ってみたいと思います。

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不登校のはじまり:小学校時代

はじめて学校に行ってなかったのは、小学校1年生の運動会の日でした。

運動会の日なので、仕事はお休みをとっていつものように朝、長男を送り出しました。

ママは9時に学校に行こうと、一緒に食べる予定のお弁当を作っていた時です!

学校から「長男クン、運動会はお休みですか?まだ登校してないですが・・。」

という電話がかかってきました。

「えっ・・??」

学校に行ったはずの長男が行方不明です。

学校からPTA支援の方に連絡してくださって、一緒に周辺を探しました。

11時になっても見つからなかったので、校長先生が

「心配なので親御さんから警察に連絡して探してもらってください」

と言われました。

結局、長男は夕方に5キロ離れた大型ショッピングモールから店員さんに電話を借りて

私の携帯に電話してきました。

警察の方が、

「本人が懲りて二度とこんな騒ぎをおこさないよう、二人がかり私たちが迎えにいくので

お母さんは自宅で待っていてください」

と言ってくださり、

長男はパトカーで帰宅しました。

もともと、好奇心旺盛で幼児期からよく行方不明になって捜索したりしていました。

今回は運動会に行くのが嫌だったのと、歩いてショッピングモールに行ってみたかったようです。

「勉強しに学校に行っているのに、運動会になんの意味があるの?」

というのが長男の言い分でした。

以降、夏休み明けから学童保育にはいきたくないと言ってそれも行きません。

「なんで先生じゃないのに決められた時間どうりに合わせて言うとおりにしないといけないの?」

というのが学童に行かない理由です。

学校も3年生までは力づくで何とか車で送ったり、引っ張っていったして登校させていました。

私は自分が学校に行きたくないと思ったことがなかったので、

なぜ長男が学校に行かないのか理解できませんでした。

学校は当然行くものと思い切っていました,当時は。

今思えば、このころにしっかり話し合っていたら、もっと違った結果だったのかもしれません。

はじめての子育てで、しっかりした子でもあったので、

何とか学校に戻って優秀な人間になってほしいと期待もすごく持っていました。

学校にさえ通ったら問題ないと考えていたと思います。

4年生になって体格も良くなり、無理やりにでも学校に連れていくことが無理になりました。

2年生のころ、学校の心理カウンセラーの先生に一度、状況を相談に行っていたことがあります。

長男が学校に行きたがらないこと、離婚して片親なので仕事で手が回ってなくて、ますますひどくなるのではと心配、などを話してきました。

4年生で私の力では登校させることが困難になり、

何度も校長先生・保健室の先生・担任の先生と話し合いの場をもってくださり、

先生方が交代で家まで毎朝、長男を迎えに来てくれました。

ある一定の日数が不登校になると、今の学校では対応できないと判断されて、教育委員会扱いの生徒になって校長先生の采配は出来なくなるし、今の小学校に在籍できなくなる。親も教育委員会に何度も面談に呼びだされて、仕事どころではなくなる・・何とか今のままこの小学校に通ってほしい、と校長先生が頑張ってくれました。

校長先生は、

以前、私が学校カウンセリングを受けに行っていたこと。

長男の性格をみてくださって、「絶対この小学校を卒業できる子だから」と。

そう言ってくださって、本当に力になっていただきました。

私は激務だったその時の仕事を辞めて転職して、もっと子供をフォローできるようにしました。

幸いに条件のよい転職先がありました!

が,入社時研修が東京で二日間ありました。

研修に行っている間、祖母の家にも行きたくないと長男がごねたら、

市が運営している児童施設に校長先生の紹介で一泊だけ入所させてくれました。

そこで、親のいない子供たちと二日過ごして、

ご飯のお代わりも言いにくくお菓子も買えない生活を知って、

長男はしばらくおとなしかったです。(笑)

5年生で担任の先生が子供にとって尊敬できると思えたようで、

私が転職したことも良かったのか、5年6年はおちついて卒業を迎えることが出来ました。

2年の夏休み明けから不登校の中学校時代

中学1年生になり、バスケットボール部に入部して頑張っていました。

しかし、2年生の夏休み明けから次第に休みがちになりました。

部屋にこもってゲームしたりしていました。

スマホやオンラインゲーム、パソコンなどでひきこもるようになっていきました。

私は不登校の親のセミナーに参加したり、

ボランティアで相談をうけつけている元校長先生の部屋に長男と話に行ったりしました。

どこに行っても、学校は行かないけど挨拶もできるし、ママについて相談にもくるし、

この子は問題児ではありませんと言われました。

不登校の親のセミナーでは、有名なラジオでも公開相談をされている教授の先生を囲んでの会もありました。それぞれ先生の前で各ご家庭の状況を話すのです。

長男はほとんど休んでますが、たまに一日~半日は学校に行くことがありました。

朝はすったもんだして、うまくいかなかった時には自転車を家の前の側溝に投げ落として絶対学校に行かないアピールをされたりですが、攻防しながらたまに行ってくれてました。

そのセミナーのほかのご家庭の話をきくと、もう20年もひきこもっていたり、

兄弟二人ともひきこもりだとか、そんなご家庭ばかりで私は浮きました。

長男はたまには学校に行ったりしていたので、

いろんな先生に学校だけが人生でないからいかなくてもいいと言われても、

あきらめもつきませんでした。

3年生ではほとんど登校しませんでした

中学の卒業式はでました。

高校受験は公立高校の一番下の端っこに何とか引っかかって受かりました。

受験申込の書類も、休みが多い事の理由書を書かないと受かりそうになかったので、

喘息持ちだったので、そのためという書類を書くようにいいましたが、

受験だけで受ける!と言い張ります。

学校は行きませんが、ちょっとしたルール違反は厳しく指摘するような子なので、

ごまかしたような書類を書きたくなかったのだと思います。

それでは受からないよと担任の先生に言われたので、私が下書きして、

筆跡が似ている次男に清書してもらって出しました。

私が誤字を書いているのをそのまま次男が写していたので、何度も書き直しを家に持ち帰っては次男にも怒られるしで苦労してだしました。(笑)

その甲斐あって、小学校5・6年生で塾に行っていたことも良かったのだと思いますが、

何とか受かりました。

バスケットボール部も行かないので退部かともおもいましたが、誘われてものらりくらり対応して、試合の応援にはたまに顔を出し、受験に有利だからと言ってとうとう卒部しました。

このころになると、長男と話しても論破されるし完全に言い負かされていました。

一年生で留年して5年間かかった高校生時代

成績はよかったので、教科によっては西日本で25番を取ったりもしました。

しかし、学活や遠足など共同でやることが嫌で行かなくなりました。

一年の夏休み明けから、アルバイトは行くのですが高校にはいかなくなりました。

ここでも学年主任の先生が自宅に話に来てくださったり、一緒に泣いてくださったりお世話になりました。

結局留年して、そのままの学校にいるのが恥ずかしかったのでしょう。

通信制の同市内の高校に2年生で転入進級しました。

通信制だと、同学年で転入できたのです。

学科はすぐにレポートで終了したのですが、必須科目で遠足や県体の応援などがあり、

一年生の時の学活の単位もすべて残っており、結局5年間かかって卒業しました。

2年時に高校認定テストを受けて合格していたのですが、

そこで、大学受験を3年時に受けようかとしていましたが、

昼間の学校に行ける気がしないというため断念しました。

卒業前の一年間にバイトで入った工場での働きが認められて、

卒業する前に正社員にしていただき、現在も務めています。

いまは新人教育なども任されて、激務ながらも仕事に励んでいる長男です。

不登校でママがしたこと:まとめ

  1. 学校カウンセリングを受けに行った
  2. 時間にゆとりを持てるように転職した
  3. 児童施設に一泊預けた
  4. 児童相談所の相談員のカウンセラーに長男と通った
  5. 不登校の親のセミナーに行った
  6. ひきこもり相談ボランティアに長男と相談しに行った
  7. 高校受験用の書類を代わりに書いた
  8. バイトをさせた
  9. このあたりから、ひきこもっても我が子は大丈夫!と信じれるようになった
  10. 通信制高校に転入させた(本人の希望とおりに)
  11. 高校認定試験を受けさせた

悩んで落ち込んだり,お互いを傷つけるような言い合いもたくさんしました。

しかし、色々な先生に話に行くうちに、ある時に

「うん、うちの子は大丈夫!」

と心底に信じれるようになりました。

信じてからはどんどん好転していったと思います。

ママはやはり、どんと構えて安定しているのが一番なんですね。

私が転職したことも年収は下がりましたが、もともと丈夫でなく病気ばかりのママが

あのまま社畜を続けてはいけなかったと思うにつけ、

長男のおかげで長生きできるようになったのかも?と思って感謝しています。

幼児期にお互いが信頼しあっていたことも、よかったのだと思います。

三つ子の魂100まで!ですね。

愛があれば困難は乗り越えられます。

体感しました!

長文を読んで頂き、ありがとうございました。

皆さんの毎日が明るく気楽で楽しくすごせますよう願っています。

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