みなさんは運動は得意ですか?
私は嫌いではないのですが、けっこう不得意です!(笑)キッパリ!
どれくらい不得意かというと、説明するのも恥ずかしいのですが、(きゃー)
生まれてから一度も鉄棒の逆上がりが出来たことがありません。
跳び箱も飛べないし、縄跳びの二重飛びも飛べたためしがないくらいです。
バレーボールもバスケットボールも授業が苦痛で、なるべくボールが来ないでと祈りつつ関係ないところを何となく走って時が過ぎるのを待つ感じでした。
ドッジボール大会なんて恐怖しかないです。
ハンドボール投げの距離の測定では投げた距離が少なすぎて、クラスで一人測定不能の記録でした。
水泳は補習授業を何度も受けさせられて、何とか平泳ぎで25メートル泳いで解放してもらえました。25メートル達成できるまで許してもらえなかったので、泣きそうでした。
身長もいまだに150センチ以下なので、体格的にも多分スポーツ向いてないです。
よく、その小さい身体で子供を4人も産んだねなんて言われてます。
なので、体育会系に全く縁のなかったママです。
今回は、まったく体育会系に全く縁がなかったママが!!
子供の部活で体験して、困ったり感じたりしたことを書いていきたいと思います。
空手編
空手教室がちょうど開設されたばかりなのを知人が聞きつけてきて、長男次男に習わせたら体力だけでなくて礼儀も身につくよと言われて通わすことに。
当時男の子二人を女手一つできちんと育てないければという思いもあり、決めました。
二つ離れた兄弟で、2人仲良く通いました。まだ就学前と一年生だったので保護者の見守りで土曜日に週に一回通っていました。
長男はなんでも上達が早く、出来たばかりの空手教室だったので、すぐにキャプテンになりました。
でも体操の号令をかけるくらいで、キャプテンらしいことは特になかったと思います。
スイミングスクールに併設して、ちょっとだけやっている教室だったのでゆるく通えてよかったです。
長男は登校拒否気味になった4年生ごろからやめてしまいましたが、次男は5年生はじめまで6年間通いました。
次男もあと一回試験を受けたら黒帯を貰える,という茶帯の時に好きな女の子ができて、
一緒に塾に通いたいと言い出して辞めてしまいました。(笑)
いまだに周囲の人から、黒帯もらってから辞めさせたら良かったのに・・・。
と言われます。
黒帯は世界で話しても尊敬されるのに・・、なんて。
ちょっとそれは残念だったのかも・・・といまは思います。
あと一回のテストだったのにと思うとです。
当時の私的には、礼儀が身に付いたらと思って習わせたというのと、本人のやる気がないのに勧めてもという気持ちから承知したのでした。
あと、職場の先輩から男の子なのに塾も行かさずに空手やらして何の役に立つの?
などと言われたことがあって、その先輩は高学歴至高主義だったのですが、影響されたのもあると思います。塾に行きたいから辞めるというのがいい事と思ったのでした。
少年野球編
次男は空手を辞めて塾に彼女と仲良く通っていました。
今度は近所のグラウンドで少年野球の弱小チームが練習をしていたのですが、人数が足らないのでと勧誘されました。
次男はずっと野球がやりたかったというのです。
ただ、野球は掛け持ちが許されないと聞いていたので、
空手をやっていたからあきらめていた、今許してもらえるなら野球をやりたいと言います。
次男は左利きで、野球では有利なのでぜひ入部してほしい、練習着やスパイクは部ではじめは用意するので少しずつそろえて行ってもらったらいいからと監督からも強く勧められました。
なにせチームは人数が不足していたので、かなり勧誘されました。
当時の我が家には小さい妹もおり、
私は仕事もしているし、部活の支援もできませんと話しましたが、
「当番からは外してもらうのでお願いします。」
「このままだと試合に出られないので助けると思って」
と言われたので入部することにしました。
お気づきと思いますが、私はかなり優柔不断。
子供に強く言われたり、人からお願いされるとつい流されてしまいがちです。
入部して少しの間はもちろんお茶当番も免除してもらっていたのですが、
もちろんそんな簡単なものではありませんでした!
他の保護者さんの手前、やはり仲良くなるうちに当番にも当然入らないと、ということになります。
練習試合で遠出をするときは保護者が車をだして、数台で乗りあっていきます。
あと、大変だったのはユニホームの洗濯です。
外でやるスポーツって、本当に泥汚れが凄いっ
てことを初めて身に染みて理解しました。
ユニホームも真っ白なので、本当に落ちません。
ユニホームにしても、練習着に試合着に、インナーから靴下・靴下のカバーまで沢山身に着けているので
洗濯や揃えるのがたいへんです。成長期でサイズアウトするし、破れたりもします。
スポーツってお金も労力もかかるなあ、とつくづく思いました。
お父さんが野球が好きでコーチをしたりで、お茶当番のママとご夫婦でフォロー出来るお宅もあります。心構えが違います。
お茶のタンクに投入する氷を牛乳パックで幾つも作れるように大きめの冷凍庫を買っていたり、本気度が違いましたね。
あと、体育会系になじみがない私がちょっと驚いたのは、
お茶当番がチーム費からお金を預かって、監督のお弁当も買って準備することです。
もう今頃はそんなことはしてないのかもですが・・・。
その時でも、監督は
「息子の為に監督に必死で取り入ろうとするお母さんが以前は沢山いて、話したり皆で飲みにに行ったりがあって楽しかった・・」
なんてことも昔はよかった的に言ってましたが、(ゲッ!?もう期待してないよね??)
人数が少なくて私たちはお茶当番をするので精一杯でしたね。
我が家はもう、懲りたので中学校の部活動では野球は辞めてと頼みました。
やはりご両親が熱心なお宅の息子さんは高校生までずっと野球を続けておられましたね。
少年野球では女子も入れたので、弱小チームらしく女子も一人入ってました。
バスケットボール編
長男が5年生になって少し登校拒否が落ちついていたころ、仲良しのお友達がバスケットチームに入っていて、それに入りたいと言いました。
いくつかの小学校の生徒さんが集まって、町が二つ離れた小学校で夕方から練習だったので、
私は仕事をしており送迎が無理なので、入部は我慢させていました。
仕事をしているママもいて、皆で交代で送迎したら何とかなるよーとも言われたけれど、
コミュ障気味の私には、
そうやって連絡を保護者が取り合って送迎するのが自分ではできる気がしませんでした。
結局長男は、中学校でバスケットボール部にやっと入部しました。
朝練に起こしたり、中学校になると早朝4時出発で県外に練習試合の遠征にいくこともあり、
早朝に起こして暗いうちから集合場所に送ったりがありました。
この時家族は5人でしたが、仕事をしながら5人分の食事・お弁当・家事・育児で手一杯な私は、
自分が寝坊してしまうことも何度かあり、あまり長男に協力できていませんでした。
この頃は家計もどん底で、部活のスポーツウエアやシューズ、
危険だからと眼鏡からコンタクトに変えたりと出費もおおくて、長男の思うようなものがなかなか揃えられなかったと思います。
もっと私がフォロー出来ていたら、もっと頑張れたんだろうと思うと、かなり後悔しています。
状況的に無理だったのですが、可哀そうなことをしたと思っています。
ただ、救いなのは、長男はいまだにバスケットボール部の仲間とずっと仲良くしており、
皆が社会人になったり県外に進学・就職しても何かあれば集まっています。
一生の友人を持てたことは本当に良かったことでした。
先日、その友人の一人が結婚して皆で県外まで祝福に行ったようです。
長男は全く女性の影がないのですが・・。
長くなりましたので、次回に続きにしようかと思います。
次回は次男のソフトテニス編になります。
全国2位を取ったコーチの元、バリバリの体育会系な部活に戸惑うママについて書きます、よろしくおねがいします!
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