こんにちは、斉東鈴です❣
不定期なブログにいつもお付き合いくださって、とてもとても感謝しています。
ここ三年間で受けた手術の細かい事など、誰かのお役に立てたらと書きかけてるのですが・・まだです<m(__)m>
資料も手元に準備しているものの、書こうとすると他の事が浮かんできて他の事を書いちゃいます。
鈴の気まぐれブログって名前も変えなきゃかもですね(;^_^A
今日は離婚後に他界した前夫の事、そして前夫と私の間の息子達について書いていきます。
まだ気持ちの整理が出来ていない部分も含めて、今の気持ちを書いていこうかと思いました。
2人の息子達が成人して、その成長ぶりにほっとしたところでもあります。
まだまだ社会人としてはこれからですが、これからの息子たちの人生は本人たちの主導で進んで行きます。
母としてはサポートしていくかかわりになってくるのかな?と感じる今日この頃。
これまで私が必死で育てていかなきゃ!と頑張ってきたのも、区切りの時になったなあとしみじみ思います。
これまでの振り返りもかねて、綴っていきたいと思います。
前夫との離婚当時のこと
鈴の離婚や子育てはプロフィールと過去記事でご存じな方はいらっしゃると思います。
いや、この記事が初めて読む記事だよ❕という方は、よろしかったらこちらのリンクからみてくださると、嬉しいです。
プロフィール | すずのツボ (suzusaito.com)
アルコール依存症を家族で乗り越える | すずのツボ (suzusaito.com)
この、アルコール依存症だった前夫ですが、離婚後は前夫の実家に帰って暮らしていました。
前夫のご両親は離婚の時に
『どんな手を使っても、子供たちは跡取りに、自分達の戸籍にいれる。』
『どうしても育てたいなら、戸籍は渡さないが育てるのは育てさせてやってもいい、お金は一切出さない。』
という人たちでした。
結局、私が親権を取ることになり、
『定職についていると養育費を請求されるから、定職にはつかせず仕事は家の商売や親戚の手伝いをさせる。』
と、言っていたようです。
私が再婚して、その家庭に息子達も養子縁組をして新しい家族としてやっていこうとした時も、コソコソと前夫が息子たちを実家に連れていったり遊びに連れだしたりしたので
子供たちに前夫からの呼び出しには応じないように説得しました。
離婚するときに、面会などは司法書士や弁護士さんなど間に人を入れて話を申し出てください、と言ってはありましたが多分聞こえてなかったと思います。それまでに両方の親も含めて話し合っても、先に書いたようなメチャクチャな言い分を言うだけなので、面会の決め事などはきちんと公的に申し込んでくださいと言いました。
実の父親との交流については、会わせるべきという意見があるかと思います。
当時は、現在の私の夫である再婚して新しく父親になった夫の、
『こちらが責任をもって息子たちを育てようと養子縁組もしているのに、養育費も払わずに都合のいいように遊ぶだけ遊んでいい顔をされたら嫌だ。会わないようにしてほしい。』
という強い意見があり、私はそれを尊重すべきと思いました。
無職でアルコール中毒でパチンコ狂いでDVの前夫とのかかわりは良くないとも私は思いました。
実際、再婚した夫も当時は新しい父親として子育てにかなり協力し、息子達も慕っていましたし、再婚を一番喜んでいたのは長男でした。
金銭的には私が息子たちの食費や日用品、服や医療費も学費もすべて負担していましたが、今の夫の母の持ち家である古い家に住まわせてもらったのでその後の出産も何とか乗り切れました。
その私の母親としての決断も、賛否両論あろうかと思います。
前夫と息子達との現在までの事を今ここで振り返ってみても、私は今でもよかったのかどうかは判定できません。
息子達が自分たちなりに消化してくれて今の成長と平和があります。
私は再婚相手に勧められるまま前夫を裁判で訴え、婚姻中のDVの慰謝料と私や息子への謝罪と接近禁止の念書を貰いました。養育費の請求は、弁護士さんがはじめから請求しませんでした。相手は無職で私のほうが所得があり、生活に困っているとも言えないからと。(養育費は子供のためのものと思うし、これは正しかったのかいまだにわかりませんが)
裁判では勝ったものの、前夫は定職についていません。ないものは払えないということになり、結局、裁判費用で掛かった50万を月に一万円の分割で送金してくれることになりました。(慰謝料含めて100万円勝訴の判決でしたが、半額に値切られてしかも分割です。裁判で値切れることを知って( ゚Д゚)びっくりでした。そして裁判費用でプラマイゼロです。)
接近禁止の念書を書いてもらいましたが、やはりこっそりと前夫の実家に連れて遊ばせていることが発覚し、再び家族会議をして息子たちに会わないようにと約束させました。
今でもその時の子供たちの気持ちを思うと辛いです。
新しい家族としてやっていきたいなら、前夫には二度とついていかないように、声をかけられても話もしないようにと言い聞かせました。そのあと子供たちは言いつけを守り、学校帰りに待ち伏せして声をかけられても逃げてきたと報告してきたりしました。
生活をするにはお金が必要なこと、前夫や前夫の家の人はその生活費を負担しないで息子達と会おうとしている事、そういう考えの人とかかわりを持ってほしくない事を夫と二人で説得しました。それが息子たちが小学生の時の事です。
前夫の他界
長男が高校生、次男が中学生の時でした。
前夫のお父さんから私の実家の母や裁判の時の弁護士さんをつてにして、前夫が危篤との連絡がありました。
私は前夫関係の家族や親戚の電話番号は着信拒否にしていましたが、違う番号で掛かってきても、相手が前夫の姉だったりするとすぐに電話を切っていたので、あちこちの人から話を回してきたようでした。
倒れて入院したら、もう手遅れになっていたとのことで、もう余命がないから最後に息子たちに病院に会いに来させてほしいとのことでした。
私は拒否しました。
理由は、元義父は以前も義母を危篤と偽って、義姉を県外から仕事を辞めさせて実家に帰らせたことがあったので、今回の前夫の危篤も信用できないと思ったのです。
もう一つは、これは今もし時間が戻っても同じ決断をすると思うのですが、
元気な時には前夫も元義父も息子たちにコソコソあったりするだけで、きちんと養育の支援や入学や卒業の節目にも何もせず、
もうすぐ死ぬからといって今までの事を全部無しにするのは人間として教育上見せてはよくないと思いました。
自分たちが必要な時は何としても連絡を取ってくるのに、子供のために何かをしようとは今までしてなかったのに、死ぬから全部忘れて父親として慕ってもらいたい、というのはおかしいと思いました。
長男にはきちんと話して、「それでいいと思う、もし本当としてもそんな死に方しかできないような人生だと思う」といいました。
次男は受験を控えていたので、話しませんでした。
他界したことを翌年知った私と息子
翌年、前夫が本当に他界していたことを知りました。
司法書士さんより連絡があり、生前に過払い金請求をしていたらしく、その返金が40万円あると連絡が来て分かりました。
司法書士さんが言う事には、前夫に連絡したら義父が出て、前夫が亡くなった事と返金のお金は息子たちに連絡しても受け取らないだろうから義父の方に振り込むように言ったそうです。法律上は息子たちが第一相続者になるため、司法書士さんもそれでは駄目と義父に話してこちらに連絡してきました。
前夫の実家は決して貧困家庭ではありません。地区の運動会では飲み物を何ケースも寄贈し、代々の商売をしつつ銀行員(支店長)や営林局に勤めた祖父や義父です。
息子達に残された40万円は前夫に借金が無いかを調べてから相続し、息子たちの学費の足しにしました。(長男が欲しがったパソコンを購入したり、次男は携帯や自転車をかいました。)
次男の告白
次男の高校の卒業式のあと、車で部活の打ち上げの迎えに行くと、次男がバイト代でラーメンをごちそうしてくれました。
その時に、次男が「ずっと話してなかったけれど・・・」と話し始めました。
前夫の姉の娘が次男と同じ学年でした。通う高校は違っていましたが、部活の仲良しの女子が次男からは父方の従妹にあたる義姉の娘と幼馴染だったそうです。
次男が高校二年の時に、駅で友達と従妹と待ち合わせて喫茶店で再会したそうです。
従妹は「死に目に会えなかった次男君が可哀そう・・・」と駅前の喫茶店で泣いて、前夫の亡くなった時の状況を知っている限り教えてくれたそうです。
次男は、お母さんが構わなかったら、成人したら父親のお墓参りに行きたい、お墓も教えて貰ったから、といいました。
私は反対する理由はないので、「行っておいで、お兄ちゃんも誘ってみて」と伝えました。
私もお墓参りには行ってほしいと以前より思っていたので、それは良かったと思いました。
息子たちにとっては前夫の家のお墓はご先祖様にあたるので、きちんとお参りに行ったほうが息子たちのためだと考えていました。婚姻中には葬儀があっても、家でお客様のお茶出しや洗い物をする係を言いつけられ、お墓は一度も行ったことがなく、場所も知りませんでした。どうしたものか、息子がご先祖参りができない、場所を親戚に聞こうかと思案していたところでした。なぜか私がお墓参りに行きたいと言っても、嫁は家で留守番するように言われて一度も行ったことがなかったのでした。私は婚姻中もそれが不思議で、周りに相談したこともあります。結婚したらお墓をまず教えて貰って、お参りを引き継いでゆくものと思っていましたので、頼んでもお墓を教えて貰えなかったのが納得いきませんでした。その方向に手を合わせてくれたらいいから、といって、いつも夫と息子達しか案内されません。そういう意味でも私とは縁がない家だったのだと思います。
次男は続けてこう言いました。
お兄ちゃんも頼りにはなるけど、お兄ちゃんは自分の生活を今は大事にして一人暮らしを満喫している。だからお母さんの老後は僕がしっかりしないとと心配になる。今のお父さんとは決してうまくいってなくて別居になったけど、今後、僕は県外に働きに行きたいけどやめたほうがいいだろうか?と。
私は心底、びっくりしました。
いつのまにか母の事を心配出来るような大人になっていたんだなあ・・・と。
いつまでも部活も学校も車で送迎に来て~と甘えてくる次男だったので、逆に心配されているとは本当にびっくりしました。
その時の私は両足の大きな手術をしたばかりで何か月も入院していたのもあって、余計に心配させたんだなあ、とも思います。
私は次男に言いました。
「妹たちもそのうち大きくなるし、自分ひとりならどうとでも生きていける。働けるうちは働くし、もしこのまま歩けなくなっても車いすでも出きる仕事を探す。働けなくなった人のための保険にも入っているから、そもそもそんなときは保険が毎月はいるし。ずっと仕事をしてきたから、そのうち年金も貰えるようになるし、一人なら家賃も安いし。入院の時に保証人のサインや受付はお願いするとは思うけど、迷惑はかけずになんとか老後もやっていけると思うよ。県外も行きたいなら、長男は近くに住んでるのだから,お母さんのことは心配せずに行ったららいいよ。」
こんなに心配してもらえているとは思わず、本当に息子たちに励まされるなあ、と感無量でした。
今まで一人で強く強く、息子達には私しか守って育てていくものはいない、だから頑張らなくては!と必死で生きてきたのが急に報われた気がしました。
長男も別居時の賃貸の保証人になってくれたり、遠い県外の都会の大病院で手術をしてもらった私を、クリスマスの日に飛行機で迎えに来てくれて、地元の転院先まで車椅子を押して私を飛行機に乗せてくれ、送迎をしてくれました。
そして、次男も自分の夢を持って、来年は都会に就職する予定です。
今は成人した二人の頼りになる息子がいて、本当に幸せでありがたい事だと思います。
まだまだ小さい妹たちがいるのでもうひと頑張り,ふた頑張りです。
・・・
最後は親バカで終わりました、申し訳ありません(;^_^A<m(__)m>
いつも長い文章を最後までお読みくださって感謝申し上げます。
私事ばかりですが、暇つぶしにでも読んで下さって、いろんな人生があるなあと思っていただけたら何よりです。
皆様の毎日が幸せで溢れますように、いつも祈念しております。
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